岩瀧寺の滝 (島根県中部の風景) Fukutomi design office 元に戻る TOP画面
 岩瀧寺(がんりゅうじ)の滝は、江津市波積町(はづみちょう)本郷と、温泉津町井田との境を流れる都治川(つちかわ)上流にあり、そばにその名の岩瀧寺がありました。延長121m,幅18m,4段の長い滝です。この滝、季節を通して美しい景色を見せてくれていましたが、波積ダムの建設が決定し、滝の景観がかなり変わるそうです。
2012.10.10岩瀧寺は数年前に数キロ離れた場所に移築されています。
2012.10.25高さ(落差)121mを、延長121mに訂正
岩瀧寺ホームページ岩瀧寺:元々は、弘法大師が開創したと伝えらるお寺です。
地図地図:Google(岩瀧寺の滝/岩滝寺の滝=岩瀧寺滝/岩滝寺滝)
山号:熊野山, 寺号:岩瀧寺
宗派:曹洞宗(そうとうしゅう)
本尊:大日如来 (だいにちにょらい)
石見観音札所29番
滝そばの山上に熊野権現が祀られる。注:現在移設されています。
ページ内 岩瀧寺について曹洞宗大本山・永平寺
同サイト内 江津市の滝:千丈渓権現滝観音滝竜頭ヶ滝県中部の滝
動画動画:岩瀧寺の滝Media Player/

 #F016 撮影F:2004/05/06 [拡大  #F016−26 撮影F7:2008/04/29
 #F016−25 撮影F7:2008/04/29  #F016−28,−27 撮影F7:2008/04/29
 #F016−42,−43 撮影F7:2008/04/29  #F016−41 撮影F7:2008/04/29 説明板の内容
名勝 岩瀧寺の滝及び自然林  江津市指定文化財

  この滝は高さ121b、幅18bで、滝は四段に
 落下し、この四段の滝から豪快に落下する様は
 絶景です。
  海岸からわずかの内陸に、このような壮大
 かつ秀麗な滝は他に見ることはできません。
  春は桜に山ツツジ、初夏の新緑が滝の景観を
 引き立たせ、秋ともなれば全山あでやかに装
 った紅葉が滝をつつみ、四季それぞれに人々を
 魅了する名勝です。
  また、この自然林にはシイがカシよりも上部に
 位置するという植物分布上の逆転現象が見られ
 ます。

 江津市 江津市教育委員会

 注:121bの高さは、落差ではなく、滝の長さのようです。
   江津市観光関連HP.では延長121bと記載<管理人>


 #F016−2,−3 撮影C:2005/11/30  #F016−4 撮影C:2005/11/30 [拡大
 #F016−18,−19 撮影C:2006/11/13  #F016−20 撮影C:2006/11/13


 #F016−5,−6 撮影C:2006/01/06  #F016−7 撮影C:2006/01/06

岩瀧寺

 #F016−29 撮影F7:2008/04/29 移築前  #F016−30 撮影F7:2008/04/29

 #F016−14,−16 撮影C:2006/11/13 本堂 [拡大  #F016−15,−17 撮影C:2006/11/13 本堂

 F016−8 撮影C:2006/01/06 本堂  #F016−9 撮影C:2006/01/06 本堂
 #F016−10 撮影C:2006/01/06 本堂  #F016−11 撮影C:2006/01/06 本堂





        
 #F016−12 撮影C:2006/01/06 本堂  #F016−13 撮影C:2006/01/06 お地蔵様

ダム建設により新しく移築・改修された
 #F016−45 撮影F7:2008/04/29 新しく移築される場所  #F016−46 撮影F7:2008/04/29
 #F016−D19 撮影EOS:2009/04/29 上棟式  #F016−D09 撮影EOS:2009/04/29 上棟式(餅まき)
 #F016−D1 撮影EOS:2012/09/29  #F016−D2 撮影EOS:2012/09/29


岩瀧寺様から提供して頂いた資料
 
 波積本郷に所在する熊野山岩瀧寺は、現在は曹洞宗であるが、元来は真言宗であったとされる。大正年間に書写された寺伝には、
「夫当山ハ弘法大師ノ開創セル行脚旧跡ノ霊地ニシテ大師御自作ノ本尊大日如来及不動明王毘沙門尊天之三尊仏鎮座ノ道場也其
当時ハ真言宗ナリシモ中頃転ジテ禅臨済宗トナル中古の開基珠芳和尚文亀元年ヨリ四代を経天正ノ頃再転シテ今ノ禅曹洞宗トナリ
長州荻ノ城下浜崎海潮寺十世通天正達大和尚ヲ請シテ当寺開山第一祖ト仰ギ・・・・・」とある。弘法大師開創の伝承はさておくとしても、
真言宗から文亀元年(1501)に臨済宗、さらに天正年間(1573−1592)には曹洞宗へと転宗したことが窺われる。もっとも本尊の
大日如来については、明治十ニ年(1879)の寺院明細帳(島根県立図書館蔵)には「昔人ノ云伝永正年中ノ頃山崩口其節本尊而耳ヲ
堀出シ当尊像ハ行基之作ト云伝」とあって、行基作の伝承もある。現在の慣行で興味深いのは「竹の子施食」である。四月二十九日、
田植え前に行う施食供養で、波積地区全域から集まる参詣者に竹の子の煮染めの御斎が振る舞われる。
 
 ところで岩瀧寺本堂背後の、壮大な岩瀧寺滝を遠望できる山上には、熊野権現堂が建っている。寺伝によれば、天文十五年(1546)
「奉再建熊野十ニ所大権現」の棟札の写しが伝えられており、また高倉山八幡神社の宮司であった郷原衢による明治十四年(1881) 
「棟札写並ニ紬書古蔵品古城跡古墳上帳扣エ」(江津市立図書館蔵写本)には、永正十一年(1514)の「奉再建熊野大権現宮社壇 
願主大旦那多々良興之 景晃願主」の棟札が記録されている。いずれにせよ、熊野山という山号示唆しているように、中世以降,熊野
信仰との関連、さらには修験との関わりで当寺が創建されたと推測することも許されるだろう。 
 
 また岩瀧寺滝に関しては、日照りに際して村人総出で滝壺の水替えをして龍神に降雨を祈願する雨乞いが行われた。熊野権現堂内
には「干口天保十五年甲辰七月甲辰三日当山納之置比ノ石ヘ当年長照ニ付請雨ノタメ村方一同立会滝ノ水ヲ汲替ヘ渕ノ底ヨリコレヲ
揚コノ日即チ雨下テ地ヲウルヲス仍記焉」と刻まれた丸石が奉納されている。しかしこの水替えによる雨乞いも昭和十四年(1939)の
大渇水を最後に、その後は行われていない。

岩瀧寺について(上の資料参考)
■岩瀧寺(がんりゅうじ)
 山号熊野山,寺号岩瀧寺は、弘法大師が開創したと伝えられ、元々は真言宗(しんごんしゅう)で大日如来を御本尊としていたそうです.。しかしその後、かかわる人がいなくなったことから、途中臨済宗(りんざいしゅう)を経て、曹洞宗(そうとうしゅう)に改宗され、現在に至っているそうです。改宗後の御本尊に関しましては、曹洞宗は本尊を決め付けることをしていないことから、現在も大日如来を御本尊としておられるそうです。
曹洞宗(そうとうしゅう):
・お釈迦様の教えが基本。インドから中国,日本へと伝承。 
 人はみな生まれながら仏の子で、仏の素を持つとし、ありのままを受け入れ、欲する心を悔いいれば、心は穏やかになると説いた教え。
・禅宗(ぜんしゅう)の中の一宗派
・鎌倉時代に高祖(こうそ)道元禅師(どうげんぜんじ)が開創
 四代目の太祖(たいそ)瑩山禅師(けいざんぜんじ)が全国に広める
・本尊:釈迦如来
・曹洞宗大本山:永平寺(えいへいじ),山号:吉祥山(きちじょうざん)
          :總持寺(そうじじ),山号:諸嶽山(しょがくざん)
開創(かいそう):宗教で使われる開創は、寺を開くこと。
山号(さんごう):お寺の名前の前に付いている称号。昔はお寺が山に建てられることが多く、その山の名前で呼ばれていたなごり。
ex比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)などが有名。
寺号(じごう):お寺の名前
大日如来(だいにちにょらい):

改宗(かいしゅう):宗派を変えること。
竹の子施食(たけのこせじき)
一般にお盆に行われる先祖供養の施食会(せじきえ)と違う内容なのか 調べて見ます。
調査結果:2006.02.03追記
 「竹の子施食」は他のお寺と同じく先祖供養の意味があるそうです。なぜ「竹の子施食」と呼ばれるのかと言いうと、岩瀧寺に大きな孟宗竹(もうそうちく)の竹林があるそうで、お寺から出される御斎(おとき)の煮染め(にしめ)につかわれる竹の子は美味しく、昔から有名だったそうです。美味しいものを食べて頂きたいと、お寺が配慮され、竹の子がとれる時期に行なう様になり、その様に呼ばれているそうです。現在、毎年4月29日に法要が行われ、檀家の方はもちろん波積地区の広い範囲から集まって来られるそうです。

■施餓鬼(せがき),施餓鬼会(せがきえ),施餓鬼供養(せがきくよう)
 釈迦の十大弟子の中の一人が夢の中で、餓鬼(がき)に憑(つ)かれわずかな余命を告げられたそうです。釈迦に相談したところ、餓鬼にわずかながらでも多くから集めた食べ物を供(そな)え、お経を唱(とな)えれば餓鬼の世では何億倍にも増やせ、多くの餓鬼は救われ、あなたの命も延びると教えられたそうです。その事を実行したのが、施餓鬼会のルーツになっているそうです。(正確にはお寺などでお聞き下さい。)
 餓鬼というのは餓鬼界にいて亡くなった人が、飢えと渇きに苦しむ様な所だそうです。施餓鬼会にはその様な所にいるかもしれない先祖や他の亡くなった方に、食べ物を供えて心を満たしてもらい、心を救ってあげる意味がある様です。また亡くなられた方全てを餓鬼ともいうそうです。浄土真宗では、みなが極楽に行けるとして、この様な法要はないそうです。
施食(せじき),施食会(せじきえ),施食供養(せじきくよう):
 施餓鬼(せがき)と施食(せじき)は同じ内容の法要のことで、曹洞宗では一般的に施食を使うそうです。
御斎(おとき):仏事,法会(ほうえ)のときに出される食事。
煮染め(にしめ):野菜,乾物,こんにゃくなどを濃い味で長く煮あげたもの。
■熊野権現堂(くまのごんげんどう/やゆごんげんどう)
 岩瀧寺滝の山上には、熊野権現堂があります。1514年から1546年の記録によりますと、岩瀧寺滝のある場所は、熊野信仰の修行場所であった様で、そこで修行されていた旅の僧により、岩瀧寺が創建された可能性があるそうです。
 最初に書きました、弘法大師が開創したと伝えられるの文に矛盾しますが、ホームページ編集者もよく分かりません。(ごめんなさいです。)
注:熊野権現堂はダム工事のため、現在移設されています。
 
熊野権現(くまのごんげん/やゆごんげん):
 熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)を短くした語で、和歌山県と三重県にまたがる紀伊半島南部に、三大社があり、それぞれに神が祀られているそうです。その三神を熊野権現というそうです。
1.熊野本宮大社 家都御子神(けつみこのかみ)
2.熊野速玉大社 熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)
3.熊野那智大社 熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)
■熊野十二所権現:
 熊野には主な三大社以外にあと九ヵ所あり、それらに祀られている神々を合わせて、熊野十二所権現というそうです。
権現(ごんげん):日本では、八百万の神々は、仏が仮の姿に化身したものとされ、仮に化身した姿を何々権現というそうです。また何々権現とあるときは、何々神の神号を言っているのだそうです。
大日如来(仏)>権現:天照大神(神)
■岩瀧寺の滝(がんりゅうじのたき)
・江津市波積町(はづみちょう)本郷と、温泉津町井田との境を流れる都治川(つちかわ)上流にあり、そばにその名の岩瀧寺があります。
・総延長121m,幅18m,4段の長い滝です。
 
・昔、日照りになった時、この滝に龍神が宿るとして崇(あが)め、村人総出で滝壷の水を入れ替えて、雨が降る様に祈願したそうです。
・滝の流れる山上の熊野権現堂には、昔雨が降ることを祈願し、事実雨が降ったことを感謝して、丸石が奉納されているそうです。その丸石には年号と滝壷の水を入れ替え、雨がその日に降り出した状況が刻まれているそうです。
・一番新しい話としては、昭和14年(1939年)の大渇水の年に、水の入れ替えをして祈願したそうです。
■島根の名水百選:第32番(ふるさとの滝)
龍神:龍を雨や水を司(つかさど)る神として神格化した呼び方。
丸石:丸石とか玉石は道祖神(どうそじん)として祀られたり、神社の御神体として祀られたりするそうです。紀伊半島南部の熊野地方では御神体として祀られる、丸石信仰があるそうです。岩瀧寺の滝の熊野権現堂に納められた丸石は、それらに関係した信仰から、丸石に文字が刻まれ、その形で奉納されているものと推測されます。


曹洞宗大本山永平寺
 #F016−L1 2006.08.16 お土産物のお店右前が最初の門  #F016−L2 2006.08.16 入門石畳のぼり左側
 #F016−L3 2006.08.16 この建屋で入場券を購入  #F016−L4 2006.08.16 左建屋反対の小川越しのお堂
 #F016−L5 2006.08.16  #F016−L6 2006.08.16
 #F016−L7 2006.08.16 山門 [拡大  #F016−L11 2006.08.16
 #F016−L8 2006.08.16 山門の四天王のうちの左二人  #F016−L81 2006.08.16 山門の四天王のうちの右二人
 #F016−L9 2006.08.16  #F016−L10 2006.08.16
 #F016−L15 2006.08.16  #F016−L16 2006.08.16 大数珠
 #F016−L17 2006.08.16  #F016−L18 2006.08.16

◆注意していること
 1.個人の住宅が風景に写った場合、写真全体の0.7%以下としています。(スーパー,店,旅館,民宿,公共施設などは除く)
 2.写真が規制されている名所の場合は、撮影及び掲載可能か確認をして掲載しています。
撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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