ギフチョウ(岐阜蝶) 福光村・昆虫記 Fukutomi design office 元に戻る 目次
#C081 Luehdorfia japonica Leech
鱗翅目>アゲハチョウ科>ウスバアゲハ亜科
時期: 4月上旬〜5月
分布: 本州(秋田県から山口県)
生息域: 山地の雑木林や杉林
大きさ: 開張50〜60mm,前翅長28〜35mm
食草: ウマノスズクサ科のカンアオイ属の葉を食べます。
大江高山の幼虫はミヤコアオイの葉を食べています。
 トラ模様のキアゲハ似の中型チョウです。模様から♂♀の判断は難しく、毛深いのが♂です。本種は山地の地形や気候など、ある条件がそろった場所だけに生息します。成虫はカタクリ,スミレ,サクラなどの花に集まり吸蜜します。成虫の期間は短く14日前後の命で、大江高山では毎年4月10日前後に♂が飛び始め、週遅れで♀が羽化し、5月始めには見れなくなります。

■ヒメギフチョウとの違い>>

 #C081−2 撮影C:2006/04/19 大江高山  #C081−3 撮影C:2006/04/19 大江高山 [拡大
 #C081 撮影X:2005/04/中旬 大江高山 [拡大  #C081−5 撮影C:2006/04/19 大江高山
★上の写真は、2005.04月に大江高山を登山された、横田さんによって撮影されたものです。  羽化したばかりなのでしょうか、全体に黄色く見えます。
 #C081−4 撮影C:2006/04/19 大江高山  #C081−6 左の写真の一部を拡大
 交尾中を失礼して撮影。この写真を見る限り、♂♀の模様の違いはある様です。右が♂と思われ、翅裏の青い斑紋が大きく鮮明です。  右が毛深いです。毛は後翅後縁から生えているのではなく、腹部背から後方に向かって生えています。
■図鑑にある♂♀の判断
1.♂は毛深く、♀は少ない(腹部背に生える毛)
2.♀の方が少し大きい
3.模様での判断は難しい

幼虫
 #C081−1 撮影C:2005/05/26 大江高山 幼虫  #A013 撮影C:2005/05/08 大江高山 ミヤコアオイ
 ギフチョウの成虫からは想像できない姿ですが、カンアオイの葉の裏に付いていた、ギフチョウの幼虫です。若齢幼虫は孵化後しばらく集団で生活します。写真の様に並んで葉を食べている姿がよく確認されます。幼虫期は35〜55日で、4回脱皮して終齢幼虫になります。終齢幼虫は落ち葉の裏に移動して、最後にもう一度脱皮して蛹になります。大江高山では5月末から6月にかけて蛹になり、翌年の春までそのままの形で越冬します。蛹の形で10ヶ月も動かないわけですから、アリやクモに襲われ生き残る蛹は少ないそうです。  寒葵(カンアオイ)は地方ごとに分類され、呼び名が違います。またミヤコアオイとか、ミヤコカンアオイとか寒(カン)を入れたり入れなかったり2つの名で呼ばれています。寒葵と呼ばれている理由は寒い冬でも枯れずに青いことからカンアオイと呼ばれています。
■大江高山に自生(じせい)するカンアオイの種類を調べてみました。
中国地方中東部:都葵(ミヤコアオイ)<ネット調べ>
中国西部〜九州,四国:サンヨウアオイ,タイリンアオイ<ネット調べ>
その他:二葉葵(フタバアオイ),薄葉細辛(ウスバサイシン),乱葉葵(ランヨウアオイ)<図鑑調べ>
■大江高山のカンアオイについて三瓶自然館の館長さんに聞きましたところ、ウマノスズクサ科>カンアオイ属のミヤコアオイと分かりました。

大江高山 大江高山
 #F036−3b 撮影C:2005/05/26 登山道入口(飯谷側)  #F036−4 撮影C:2005/05/26 登り
 #F036−5 撮影C:2005/05/26 頂上  #F036−1 撮影C:2005/05/26 周辺 [拡大
 頂上には標高808mの看板とポストと風景のみです。あと座ってはいけない椅子があるそうです。売店,自販機はありません。登られる方は、おむすびとお茶は必要だそうです。 大江高山(おおえたかやま):標高808m
■住所:大田市(おおだし)大代町(おおしろちょう)〜祖式町(そしきちょう)

その他資料
似た仲間:ヒメギフチョウ(ヒメギフチョウとの違い)
 ヒメギフチョウは前翅外縁の黄色い線が、縁に沿ったラインとなっていますが、ギフチョウは前翅の前先端の一部のラインでカクンと内側にずれています。
 
-- ギフチョウ ヒメギフチョウ
分布 本州(秋田県から山口県) 北海道〜本州,朝鮮
食草 カンアオイ属 ウスバサイシン
オクエゾサイシン
大きさ 開張:50〜60mm
前翅長:28〜35mm
開張:45〜55mm
前翅長:28〜33mm
 
フタバアオイ(二葉葵):水戸黄門に出てくる三つ葉葵の紋は、カンアオイの葉の図柄を組み合わせたものだそうです。
 葉を2枚付けて成長することから、京都の賀茂神社で神事に用いられていました。加茂明神を信仰する人がこれを紋とし、三河の松平家が元々賀茂神社の神官の出だったことにより、葵の紋を家紋にしました。松平から徳川に名が変わり、徳川家康は幾つかの家紋の中で三つ葉葵の家紋を選び、この家紋を権威あるものとしたそうです。二葉が三つ葉になった理由は、確定的なことは分からず諸説あるそうです。


[注]撮影:又は撮影F:FUJIFILM FinePix−F410, 撮影C:OLYMPUS C−750UZoom, 撮影D:KONIKA MINOLTA DiMAGE−Z3

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